はぐくむ

ちいさな いのちをはぐくむ ちいさな日記です

おへその下から恥骨に向けて身体の真ん中をはしるキズは今日もチクリと痛む。

雨の日や少し寒くなってくると無意識に撫でていることもある。

 

あの日が幻ではなく本当にあった優しい時間だった証。

 

 

私の幼い身体はあの時激しく抵抗した。

首の筋肉がもうこれ以上力が入らないくらいに顔を背けたし、覆いかぶさる大きな怪物を1ミリでも遠ざけられるのなら腕の骨が折れたって構わないと思っていた。

しかし、そんなことは文字通り無駄な抵抗でしかなかった。

実際は恐怖でなにもできなかったのかもしれない。声を上げることも手足をバタつかせることもできないまま、心を捨ててなにも感じていなかったのかもしれない。

死んでいよう  

そう思っていた。

 

 

あの日以来わたしは男のひとの手におびえていた。

触れられることに過敏になっていたし、初めましての挨拶の時にはその人の手をチェックすることが度々あった。

あの、欲望だけの悍ましい手に似ていないかどうか。

 

どんな手に包まれてもわたしの心がとけることはなかった。

あたたかさは優しさは感じることがあったけど、わたしの身体の中に入ることは許しても、本当のわたしの中にはどの手も触れさせなかった。

固く閉ざした扉を開ける鍵を持つ手には出会っていなかった。

 あの日の彼に包まれるまでは。

 

 

壮大な景色を眺めさせてくれて、優しく勇敢なでもどこか寂しさを感じるその言葉にいつの間にか涙が流れていた。

知らない土地をさまよい歩いてふっと探していたひとを見つけたような不思議な感覚だった。

探していたことは自分でも気づいていなかったのだが、連なる文字を綴られる言葉を見て、わたしは探していたことに気づかされた。

今思えば、その美しい言葉を打ち出す彼の手を探していたのかもしれない。

 

文字だけのやり取りはとても穏やかで楽しかった。

わたしは彼の打つ言葉に励まされ癒されていた。わたしも彼をできるだけ楽しませたいっと文字を連ねていた。実際には彼の邪魔をしていたのかもしれないけど、わたしは彼の言葉が大好きだ。

いつしか寛大な包容力のある大きなあたたかい手を想像して、いつかその手に触れたい、触れて欲しいと幻想を抱くようになっていた。

見たことも触れたこともない手が生み出す創造に尊敬と信頼を寄せるようになり、迷惑をよそにこれまで閉じ込めていたわたしの感覚を拙い言葉に置き換えてはおくりつけ、返してくれる優しさにすっかり甘える日々が続いた。

 

 

わたしの心を包んでくれた優しい時間は、脅えていた幼いわたしを心地よく葬ってくれた。

わたしの中の恐怖や寂しさを、今までずっと閉ざしていた言葉と創造をそっと引き出してくれ、空いたところに希望を静かに残しておいてくれた。

はじめて幸せなひと時に心を解き放つことができた。

 

 

わたしの真ん中にあるキズと無邪気に微笑む希望は、わたしも心を抱いてもらえた証

 

 

 

 

 

創造のそばに

「踊ること」をつかって1年前と同じ仕事をしています。

 

正しく言うと同じところからの同じコンセプトでのオファーで中身は昨年と違う味付け。と言う感じかな?

実はあと11年先までこのお仕事の依頼を受けております。

この先、創造がこんこんと湧き出る泉を手に入れたい気持ちでいっぱいで、お医者さんにも「創造が溢れ出るお薬ありませんか?」と大真面目に尋ねる始末です。

それは置いといて。

 

昨年の今頃のわたしはおなかに宿した命がスクスク育ち、踊るにはなかなか困難な状況でした。

そんなわたしに振り付けを依頼してくる方もかなりのチャレンジャーだったと思いますが、ハイ!と受けてしまう私もかなりおかしな者だと自覚しておりました。

槇村さとるさんの漫画に

ダンサーに男も女もないのよ。人生で「踊ること」が1番大事な変態なのよ」

という言葉が出てきますが、その通り変態妊婦だったと師走に入り1年を振り返っている今日この頃です。

 

さて

 

近頃ハイハイであちこち冒険し、つかまれる所あればどこでもつかまり立ってドヤ顔を魅せる彼は、1年前わたしのおなかの中で小さく丸まっていたのです。

かわいい乳歯がすでに8本も生え!うどんを前のめりで食べる彼は、1年前わたしのおなかの中で指しゃぶりしていたのです。

かわいい女の子に、集まる大人たちに天使の微笑みを振りまき、抱っこをせがむ甘えん坊の彼は、1年前わたしのおなかの中でしゃっくりをしていたのです。

 

わたしの中でわたしの創造に付き合って静かに見守っていてくれたことを今あらためて愛おしく思います。

たくさんの方のサポートをいただいて作品ができたことはわたしにとって新しい一歩でありましたし、変態であることを再認識し結構このまま生きていけそうだとポジティブになれる機会となりました。

 

ただいま創造真っ最中のそばにはやはり彼がくっついております。

流れる音楽に身体を揺らし(縦ノリ)手を叩き(これはご機嫌のしるし)踊るわたしの足につかまり立って邪魔いや、応援してくれております。

動き始めた彼こそが泉なのではないか!?とながめてしまう時もあります。

 

1年という時間の中での変化がこんなにも愛おしく尊く嬉しい流れる光であることを大切な人にも届けておきたいと思います。

 

新しい年明けの舞台に向かって 彼との楽しい創造は続きます。

 

 

 

立ち上がる

生まれたてのか細くシワシワの足は8ヶ月の日々を重ねて大地を踏もうとしている。

 

まだ柔らかいその足の裏は頼りなく、まだガクガクのその膝は不安定で、何かにつかまっていなければ、何かにしがみついていなければ、誰かに見守っていてもらわなければ危なっかしくて仕方がない。

でも、そう思うのは見ているわたしだけで、当の本人はそんなことお構いなしに何処でも立ち上がるのだ。

 

そこには今まで見たことのないものが見え、聞いていた音楽がもっと楽しく聞こえ、届きそうになかった憧れにほんの少し手が触れられる。

ような気がする。

 

何度も尻もちをつき、何度も転んじゃうけどそれでも立ち上がる。

立ち上がれる数よりもっとたくさん立ち上がろうとする。

上手く立ち上がれない時もあるけど、それでも立ち上がろうと挑む。

しっかり手をつき、しっかりしがみつき。

 

これからその足を動かし行きたいところへ、心の向くまま進んでいくのだろう。

いつかつかまっているものから手を離し、ヒョイっと軽々立ち上がるのだろう。

両手に荷物を抱えてもぐらつかないようになるのだろう。

誰かと手をつないで立ち上がる日が来るのかもしれない。

 

つまずいたり、すくわれたり、引っ張られたりして立ち上がれなくなったときは手を差し伸べてあげよう。肩を貸してあげよう。じっと見守ってあげよう。

そんな母になろう。

 

あなたは自分の力で、自分の想いで立ち上がったことをはなしてあげよう。

 

 

ちょっと大げさかな……。

 

好奇心とよだれ

人の成長を促すのは「好奇心」と 「よだれ」である。

 

それは滝のように彼の口元を流れています。

抱っこをすると私の左肩はいつも濡れて、抱っこ紐のカバーも湿り、小さなタオルが手放せませんし毎日3枚ほどのスタイを洗濯します。

誰かが食べる姿を見るといっそう激しく流れ出し、綺麗なお姉さんに抱っこされるともう止まりません。

 

んん⁉️

 

でも、おかげで初めて食べるものもしっかり消化してくれ、離乳食もスムーズに進んでくれます。

かわいいスタイをプレゼントされたり、作ってあげる楽しみも増えました。

小さな白い歯が生えて、ちょっぴり光る口元でわらう姿はまさに天使の微笑みです。

これを見れば、守ってあげたい!抱きしめてあげたい!と思うのです。

 

「よだれ」によって自分を愛おしい存在にし守ってもらい、ママの離乳食作りのスイッチをONにして、美味しいものを食べさせてもらえる最高の条件を整えるのです。

 

☆☆☆☆☆☆      ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆    

 

腹ばいになると世界はガラリと変わってきます。

目に映るコロコロした物やキラキラした物、小さな糸くずさえも彼にとっては宝物のようで、

触りたい!手にしたい!そんな好奇心が両手を突っ張り足で蹴って彼を前へ前へすすませるのです。

甘えて私の声のする方へお腹を中心に上手に回転して寄ってきてくれます。

 

それほど広くない部屋ですが、彼の毎日は大冒険。

昨日よりも遠くへ、昨日よりも速く。昨日よりも前へ。

 

自分の意思で動く、動ける喜びを小さな身体いっぱいに表す姿は頼もしくもあります。

彼の溢れる好奇心と流れるよだれは、まさに生きている証であり、生きていく源。

 

小さな命が 大きく成長しています。

 

 

 

 

いまここを楽しむ

電車の中で妊婦さんに席を譲ったら、すぐにスマホを取り出して見ていた。

なんだか残念だ。

 

こんな記事をSNS上で目にした。

 

その後、みんなのやり取りが始まり、その妊婦さんはどうすればよかったのか?ということに

・妊婦さんには座ってお腹を撫でながらにこやかにしていて欲しい。

なんて内容の話が盛り上がってた。

 

妊婦さんへの期待と幻想は尽きない。

 

 

母親にも同じように世間の期待と幻想がつきまとう。

ご機嫌の赤ちゃんを抱く母親はよくできたお母さんで、泣きわめく赤ちゃんを抱く母親は「あらあら」の世間の目にさらされる。

 

お買い物中、ママにぴったりくっついている子はお利口さんで、ママもお利口さんの子のママ。

「買って〜」と駄々をこねる子は困ったちゃんで、お母さんは困ったちゃんのお母さん。

母親は子供を連れいると、子供を通していつも評価されている気持ちになる。

 

世間が目にする光景は子育ての中のほんの一瞬の出来事で、たまたまご機嫌がよく、たまたま駄々をこねていただけのことである。

ひとつの正しい対処方法なんてものは存在しなくて、答えは子供と母親の数だけ無数にあるのだ。

 

子育ての信念を貫きBestを尽くすことも、その場の雰囲気を察してBetterを選ぶことも、どちらも正解なのだと私は思う。

大切なのはその時の選択を後悔しない、いや、後悔しない選択ができるように母親というスキルを磨く努力をすることだ。

どんな職業でもトレーニングや勉強が必要なように、母親も子供と一緒に経験することで学び、日々の生活がトレーニングなのだ。

子供の成長に合わせてバージョンアップしなければならないし、2人3人となればバリエーションも要求される。

 

最近5カ月を過ぎた息子くんの視線がごはんを食べる私に熱くそそがれ、お口をムグムグ動かしていた。もうすぐ離乳食始めようかな  なんて話していた。

その3日後、歯が生えてきたのを発見!

うれしくてパパに伝えると、離乳食を始めようとする勘はぴったりだ。すごいよ。

と言ってくれた。

私はこの時、歯が生えた子供の成長がすごいね〜っと受け取ったのだが、今になって思い返せばこれは母親になってきている私のことを褒めてもらったのではないか?

今までそんなことがなかったから、ピンとこなかったがきっとそうに違いない。

この際、モチベーションを上げるため勘違いでも構わない。

 

よくできました 💮 のハンコをもらったようでうれしい。

 

昇進や給与アップはないが達成感と幸福度は静かにアップしていく。

 

 

 

子供を産めば母親になるというのは世間の幻想で

女の人は努力して母親になっていくのだと私は思う

 

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夏本番の昼下がりセミの第九を耳にしながら「演劇を介護に取り入れ介護を豊かにしよう」

というセミナーに参加した。

ボケを正さず、ボケを受け入れ介護者は最高の俳優になろう!

そんな内容の話だった。ざっくりと。

 

講師の俳優で介護福祉士の菅原直樹さん繰り返し使っていたフレーズがなるほどだった。

 

「いまここを共に楽しむ」

 

 認知症の方は今日あった事を忘れてしまうかもしれない、家族の顔をわからなくなっても家族を思う気持ちは忘れていない。だから、今の瞬間を一緒に過ごし楽しむことはできる。

 

これは子育てにも当てはまることだと共感した。

 

ギラギラ輝く太陽が眩しくて、小さな手で まぶし〜い!とおメメを覆ったことを赤ちゃんは覚えてはいないだろう。それでも、その仕草が愛おしくてぎゅっと抱きしめたママのぬくもりは穏やかな心に残り、なにより夏のひと時を一緒に楽しんだことはかけがえない成長の記憶となる。

 

3歳ぐらいになれば、なんちゃらごっこ遊びが始まり母親はその時々のシチュエーションに合わせて、お客さんになったり、生徒になったり、近所のスーパーのレジの人にならなければならない。

通り一遍の演技では許されず、ちょっとクレーマーなお客さんだったり熱狂的なファンというより刺激的な演技を監督から要求されるのだ。

これはもう女優以外の何者でもない。

 

泥と草と枯葉で作った塊を ケーキができました〜!と言われれば、一流パティシエが作った世界でたったひとつのスイーツのように食べる演技ができなければならない。

ここで、泥じゃん。なんて言ってしまえば子供の心にファンタジーは宿らないのだ。

人はファンタジーによって童心を思い出し癒されると信じているので、ファンタジーのない子育てはその子から安らぎを奪うことだとおもっている。

だから、主演女優賞並みの演技が必要なのだ。

 

そして、ひとりの人間として自分のやりたい役を精一杯演じ切って全うしたい。

また、この話は次の機会に…。

 

いまここを楽しむ

 

 そんな生き方でありたい

 

 

 

 

 

 

 

 

誰かの初めてに立ち会える日

今日 初めて寝返りができました。

 

これまで天を眺めていた彼は自分の力で、自分のタイミングでくるりと返り、世界には色とりどりの花が咲いて、蝶や小鳥が楽しげに飛び交っていることを知りました。

 

覗かれるのではなく、向き合うことを知り見上げることを知りました。

自分の頭はそこそこ重みがあって、ママの顔はまあまあ弛んでることに気づいたでしょう。

 

身体をねじってしばらくもがいていました。

もう少し。もう少し。

手を出して助けてあげたい気持ちをぐっとこらえて、ただただ見守っておりました。

「自分でやってみるから、見ててね!」

そう言っているように感じたのです。

もう少し。もう少し。

 

下半身は完璧にお腹が床についていますが、上半身は90度のまま。

上になっている肩を揺らして何度か挑戦していましたが、頭がなかなか起こせません。

私も手術後最初に起き上がる時、頭ってこんなに重いのか!と気づかされました。

上になっている腕を動かし、指では畳をもぞもぞつかむような動きをしていました。

 

くるん。

 

その時は静かにやってきました。

大きな偉業を成し遂げるときは意外にもあっさりしているのかもしれません。

彼もキョトンとしておりました。

 

できたー!

私はうれしくて叫んでしまいましたが、本人は平然としておりました。

あら。できちゃった。ってな感じ。

 

 

 

 

誰かの「初めて」に立ち会えることは子育ての醍醐味のひとつだと思います。

おなかに命として宿って、この世に生まれて始まる 「初めて」の力。音。

いくつもいくつも重ねて創られる 生きるパワーのハーモニー。

 

 

 

 

誰かの「初めて」に立ち会える幸せを、誰かの「最後」を尊く思うことへ。

誰かの「初めて」に立ち会える喜びを、誰かの「最後」への優しさに。

つなげていける生き方でありたいと思います。

 

梅雨のある日、世界の見方が変わった日。

 

 

 

 

 

 

 

目覚めぬ指

人生初めての帝王切開にて男の子を授かり4カ月が経ちました。

 これまで、ありがたい事に病気らしい病気もせず、医療とは離れた生活を送っておりましたので、身体にメスを入れることなど想像もしていませんでした。
帝王切開手術では 当然ですが、痛みを伴うことなので麻酔をいたします。
人生初めての下半身麻酔。
それはそれは奇妙な状態です。腰から下は自分の意志では動かすことのできない他人の様で、上半身はしっかり自分です。会話もできて泣くこともできます。

必要な時間が終わると、次に待っているのは麻酔から目覚めることです。
他人であった部分はゆっくりと確実にじんわり自分へ戻っていきます。
ああ。あるある!足あるね〜。
人魚姫が海の魔女から足をもらった時の気持ちが少しわかる気がしました。

左足の人差し指。

この部分だけは小さな王子様を授かった日から目覚めることなく、時間が止まっています。
夜になると時々痛みを感じること以外は日常生活に困ることは無いのですが、身体の細部に神経を使って行う仕事をしているため、多少不都合というか、違和感というか、これまでとは違う感覚。
マッサージなど思いつく対話をその部分に仕掛けていますが、未だ目覚めることなく4カ月前のまま戻ってきておりません。

しかし、目覚めぬ指以外は元気! 王子様も元気!  優しさに守ってもらって、これまでよりもずっと穏やかでやわらかい時間を過ごせていますから
まあいいか〜!
そのうち忘れた頃に帰ってくるだろう。と放っておけるようになった4カ月の日です。

人魚姫は王子様のことを想い、再び元の姿に戻らず海に飛び込み泡となってしまいます。

わたしも王子様が元気に過ごせているのなら、目覚めぬ指があってもいい。




大切な人が幸せに過ごせるのであれば、泡となっても構わないのです。